SFのこと(その7)

SF漫画といえば忘れてはいけない、「萩尾望都」。
あ、竹宮恵子もそうですね。何作か読んだのですが、萩尾望都ほどは惹かれませんでした。
SFというには微妙なジャンルだけど、『天馬の血族』(全24巻 角川書店)は面白かったな。

『百億の昼千億の夜』(秋田書店)とか『ウは宇宙船のウ』(小学館)とか。
前に書いたとおり、最初の出会いは原作付きのもので、これもとても好きなのですが、これはそれ以前に読んだ原作の印象がとても強くて。ブラッドベリは短編なのでまだ漫画にしやすいと思うのですが、原作『百億の昼……』は、早川文庫で1.5㎝超の厚みがある本で、しかも多神教と一神教という大きなテーマを持つ作品です。これを漫画として面白く読ませる力量に、ただ感じ入るばかりです。
小説を漫画という手法で再構築することにみごと成功したのは、あの重厚で長大な物語を深く読み込んで自分のものにしたからこそなのでしょう。
すばらしい漫画家という以前に、萩尾望都はすばらしい読み手なのだということに、私は今この文章を書いていて気が付いたのですが、漫画をお読みになった原作者はどのような感想をもったのでしょうか? 何処かで読んだ気がするのですが、どうだったかなぁ?

萩尾望都作で私のお気に入りは
『銀の三角』(白泉社)
『マージナル』(全5巻 小学館)
それぞれ良くて、優劣を付けることはできません。

『銀の三角』は、時間を空間を行きつ戻りつ繰り返しながら、時間の縺れを特定し、それを解くという話し。
明確なモチーフがあるのに、カノンのように定格の演奏というよりは、ミニマムミュージックのような偶然性の繰り返しで奏でられる現代音楽のよう。油断をすると自分が何処にいるか見失ってしまい、その足下の不確かさが何故かとても心地という、なんとも不思議な物語。

『マージナル』は、母と男性のみで構成される社会の話し。
これを読んだのは比較的最近です。
丁度、同じようなテーマでオリジナル小説を書いていた頃で、友人に『マージナル』に似ていると言われて、その時はその感想を流してしまったのですが、後に無自覚に『マージナル』読んでしまったら、自分の書いている話しの不出来さに気が付いて脱力してしまったという思い出があります。
男女差の根本には、女性の「産む性」という肉体の差異の問題があって、この根本がなくなった時に人間の社会は如何に成り立つのだろうか、というしょうもない疑問を今でもたまに考えます。
私がアキラとヒカルが対等であることにこだわることの根底には、実はそんなことがあったりします。が、これを説明するのは、もう数段階説明をしなければならないので、それはまた気が向いたらということで。
そして『大小アキヒカ』がああいう話し(ヒカルの性別不明というあたり)なのは、元はリクエストなんですけど、それを楽しんで書いているのは昔の名残だったりします。

次点のお気に入り。
佐藤史生『ワン・ゼロ』(全4巻 小学館)とか、川原泉『ブレーメン2』(既刊4巻 白泉社)とか。
(川原泉はデビューの頃~別冊花とゆめに掲載された第1作も読んでいたりして~から大好きで、『甲子園の空に笑え』とか『空の食欲魔神』(共に白泉社)とか初期の頃の方が寄り好きかな。「かっこでくくれば同類項」とか「あのの位地がが違う」とか、名言が沢山!)

今一番の注目は、菅原雅雪『暁星記』(既刊4巻まで 講談社)
日本の縄文時代のような狩猟社会で、古い慣習を捨てて周辺の村の統合を目指す「英雄」の物語。
一見異世界ファンタジーの構成を取ってはいますが、私はSFだと思っておりました。途中で出てきたSF的仕掛けに「あっと驚く」(編集部は確かそう煽っていた)よりも、定番なストーリー展開に、ニヤリ。
シャーマンな世界とSF的設定が、これからどうリンクして物語が展開するか、とても楽しみ。

最近読むのは、ヤングアダルトレーベルが多いのだけど、やはり早川文庫のような正統派SFも愉しい!
リアル拙宅の本棚には宝の山が眠っていたから、また書くのに詰まったら本掘りして堪能しよう!

『SF』の項、これにて閉幕。

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SFのこと(その6)

何処までも続く一面の小麦畑。19(ナインティーン)の髪の色。

小麦畑を見るたびに『OZ』のラストを思い出します。モノクロの画面なのに不思議ですが、私はこの先ずっとあの黄金色を思い出すのだと思います。

樹なつみ『OZ』(全4巻、白泉社)
『イティハーサ』と並んで、とても大切な漫画です。
誤爆によって始まった核の応酬とその後にやってきた核の冬を乗り越えて、小国家が台頭し始めた北米大陸が舞台。
タイトルの『OZ』は、核戦争前の科学技術を保つという伝説の科学の都。
主人公3人は、この『OZ』を探しに旅にでます。。
特A級の傭兵ムトウは終わらない戦争の閉塞の中、『OZ』に平和の夢を託します。
フェリシアは、純粋培養された天才科学者。行方不明の兄が『OZ』にいるとの噂を耳にして、『OZ』を探しに旅にでます。
19(ナインティーン)は、フェリシアを迎える使者として『OZ』から遣ってきたアンドロイド。狂ったプログラムが修正され、人間になることを夢見て、『OZ』に向かいます。
三人は反発しあいながら共に旅をし、『OZ』に辿り着きます。
しかし、『OZ』は夢の都ではありませんでした。
それでも彼らは『OZ』で夢を叶えるのです。「突出した科学は人の心を狂わせる」ことに気が付いた彼らは、『OZ』を破壊することを決意します。
その長い旅の中で、フェリシアは兄と再会し、家族に対するコンプレックスを乗り越え、自分を見つけます。
19はプログラムの呪縛から逃れ、人としての意志を持ち、『OZ』と『OZ』の所産である自己を葬り去ります。19は望み通り、人になったのです。
ムトウは小麦を手に入れます。おそらくそれは平和で安定した社会の礎となる農業の再生を意味しているのでしょう。

夢は『OZ』によってただもたらされ、叶えられるのではなく、自分の手で掴み取って、ようやく実現するのです。
多くの命の上に成り立った辛い彼らの旅の終わりが、痛みとともに明日への希望に繋がっていること。それが最後の小麦畑に表現されています。

だからこそ最後のあのシーンが、色鮮やかに目に焼き付いて忘れることができないのだと思います。

『イティハーサ』『OZ』いずれの漫画も、読み応えのある、面白い漫画です。
さーっと読んでも、キャラクターは立っているし、作品世界は綿密に構築されているし、ファンタジーとしての仕掛けやSFとしての仕掛けも、充分に生かされた物語です。
しかしそれだけではなく、「人間とは何ぞや」という哲学的命題と正面から取り組み、作者なりのメッセージが物語として自然に読者に届けられます。
ふと、自分はどうだろうか? と振り返るし、こう在りたい、またはこうは在りたくないという、ある種の志が生まれるのです。
多分、親や先生が言葉で言っても伝わらない何かを、この作品を読むことで擬似的に体感することができるのだと思います。

その漫画という手法を用いた物語の力に、私はただただ感じ入るばかりなのです。

そして余談ではあるのですが、この作品を好きとおっしゃる方に、私は無条件で親近感を感じるのです。ああ、仲間だなぁと。
ヒカ碁好きで、『OZ』が好き、という方を何名が存じ上げているのですが(私がヒカ碁二次創作に嵌って、書き手の方に最初にメールを差し上げるきっかけも、『OZ』でした)、他にもいらっしゃるでしょうか?
きっと一杯いらっしゃるのでしょうね。

相変わらず、長い。
そして、あと一回。
次ぎはもうこんなに力はいってません。好きな漫画ではあるのですが。

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SFのこと(その5)

で、好きなSF漫画。
水樹和佳子『イティハーサ』(集英社ぶーけ豪華本全15巻、早川JA文庫全7巻)
樹なつみ『OZ』全4巻(白泉社)

もうこう記しただけで胸が一杯になってしまいます。
別格。
あ、緊張していたのは、これを小説の部と同じように感想を書こうとしたからか。
今題名を入力して突然悟りました。

『イティハーサ』は超古代の日本が舞台。
主人公鷹野と透(示+古)の暮らす邑は「目に見えない神」の宝物を奪いにきた大陸渡来の目に見える神とその信徒に襲われる。「目に見えない神」は村人を救わず、主人公達は「目に見えない神」とその信徒に救われる。「目に見える神」には、殺害や略奪を善とする神(威神)と、平和と安定を尊ぶ神(亜神)があり、主人公達はこの亜神の一行と共に、神宝と「目に見えない神」の謎を解く旅に出かける。
そんな物語の前半部分は、むしろ超古代ファンタジーという様相を呈しているのですが、最後に主人公が見つける「目に見えない神」の謎と、鷹野ととうこの役割がSF的(作者はずっとこれはSFだと主張されていました)。
最後に種明かしされた作者水樹和佳子がこの作品に託した時間と空間の長さ・広さに、ただただ圧倒されるばかりでした。
物語は目に見える神々が善神・悪神と分けられたことに象徴されるような善悪の単純な二項対比の中で、人間の本質は何なのかを問い続けます。
誰かを守る為の殺害は善なのか悪なのか? 自分を守るために殺害は善なのか悪なのか? 自己を捨てることで守られる平和が果たして善なのか悪なのか?
善であり悪である。善でなく悪でもない。その狭間にあり、どちらにも惹かれるからこそ人間なのだと、そこに何らかの救いがあるのだ、と物語は閉じるのです。

掲載誌『ぶーけ』は、事実上廃刊されてしまいました。
少女漫画雑誌でありながら、『イティハーサ』のような漫画を連載する少々毛色の変わった雑誌であったのですが、あるとき一般的な少女漫画雑誌へ編集方針が転換し、水樹和佳子を始め、水星茗とか夢路行とか私の好きだった方は軒並み切られてしまいました。『イティハーサ』の最後は書き下ろしで出版されたといういわくつきです。
『ぶーけ』自体はこの編集方針転換にも売り上げを伸ばすことが出来なかったのか、結局廃刊に至りました。(あの時は本当にびっくりしました。こんなメジャー雑誌でも廃刊しちゃうんだって)

その後、水樹和佳子は早川書房に拾われて、『イティハーサ』ほか『月虹』等SF系の著作を中心に早川JA文庫から復刊したわけですが、途端SF畑での『イティハーサ』の評価が高くなって、ジャンルの壁の高さを実感した次第です。
『イティハーサ』は10年間、『イティハーサ』としてそこに在り続けていたのに。

またなが~い。とほほ。
『OZ』はまた次ぎに譲ります。

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SFのこと(その4)

ディックを探して本掘りをしました。
狭いリアル我が家の4畳半のリビングの、3畳ぐらいのスペースをスチール本棚で区切って、「私の部屋」を作ってます。
スチール本棚の奥行きは25センチ程度。A5版のハードカバーを奥には奥行きがあるので、余ったスペースにコミックや文庫を置いています。
つまり本棚の前面にはハードカバーが。その奥にはあたかも隠すように文庫・コミックが。
なので、どんな本を仕込んでいるか、憶えていません。なので、前面のハードカバーをどかさないと確認できないし、そもそも様々な種類の紙類が散乱しているので、本棚に辿り着くのに一苦労。3畳なのにですよ?
「本掘り」という言葉は、そんな私のスペースの惨状にぴったり。

電車の中、読書に夢中で下車しそびるということは、流石にそうはありません。
初めての経験は、
大原まりこ『未来視たち』(早川JA文庫)
本掘りをしていたら、大原まりこの山を発見して、思い出しました。

今をときめく小野不由美の『魔性の子』(新潮文庫)を初版で持っているのが、ちょっと自慢だったりします。
あのころはまだ小野さんも新人さんでね~。
これは面白そうだと、ちょっとした先物買いの気分でした。あっという間に大ブレイクして、賭に勝ちましたよ、ほほほとゴキゲンだったのですが、その時私が一番買っていたのは別の方でした。

菅浩江『メルサスの少年』(徳間デュアル文庫)
一言でいうなら、「透明でセンシティブな世界」
紋切り型の表現ですが、結局10年たってもこういう世界が私は好きなのです。
確かに小野さんは、良く調べものをして、それを生かした物語をスキなく構築して、それを読者に伝える筆力をお持ちです。
が、私は、ストーリーに粗があっても、ごく普通の文章であっても、作品世界に漂う透明感がとても好きで、とにかく夢中でした。
一時期新作が見られなくて淋しかったのですが(後で知りましたが子育てでご苦労されていたようです)、現在はSFとミステリーの領域を股にかけて活躍中。ジュブナイル(ヤングアダルト)でしか出せないような少年少女を主人公とした透明感のある作品ではなくなりましたが、心理描写の巧みな、言葉を発することなく空気を味わいたい作風は相変わらずで、文庫になるまで待てないお方です。

次は漫画の部

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SFのこと(その3)

ひさしぶりにやっちゃいました。
気が付いたら最寄りの駅の三つ先でした。しかも急行の駅で三つです。
えっと、昨日の帰りの通勤電車でのことです。読書に夢中で降りるべき駅に気が付きませんでした。それで帰宅時間が30分も遅くなってしまいました。

さて、SFの長いもの。
カード・マキャフリーに続くお気に入りは、ディックです。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が有名です。早川SF文庫フェアーなんかがあると必ずラインナップされているので、特徴的なタイトルと相まって目にしたことのある方も多いのでは?
映画『ブレードランナー』の原作としても有名ですね(そういえば、あの映画の音楽はヴァンゲリスなんですよ)。

で、どうゆう話しかというと……
思い出せません。
それどころか、購入したかどうかも憶えていません。
私の記憶に残っているのは、ディックは面白い、好き、ということのみ。

ということで、ディックの本は何を読んだかを確かめるために、本掘り(私の造語。本棚から本を発掘すること)をしてみました。
確かに何冊が出てきました。上記の『アンドロイド……』も持っていました。中を捲ってみましたが、やはり読んだ記憶がありません。ツンドクするほどゆとりのある生活ではないので購入した本は余さず読んで、持っている本=読んでいる本なのですが、どれも記憶にありません。
そこで昨日は『アンドロイド……』を持って出勤。電車の行き帰りに読みました。

それで、今日の日記の冒頭に繋がるわけです。
とにかく面白くて夢中になっていたら、家の前を通り過ぎて時間にして15分先まで行ってしまったわけです。

主人公はアンドロイドを狩る賞金稼ぎの男で、火星から逃亡してきたアンドロイド8人を殺していくという話しです。
舞台は核戦争の後の地球。死の灰により遺伝子を傷つけられた人々は「不適格者」の烙印を押されて落伍者になるのですが、この恐怖から目を反らすためのものは、機械から齎される強い感情と、24時間テレビやラジオから垂れ流される娯楽のみ。人々はいつか本物の動物を飼うことを夢見ている。画一的で、絶望的な社会です。
人に限りなく近いアンドロイド。彼らを庇う心優しい不適格者。アンドロイドのように心動かすことなく職務を真っ当する主人公の同僚。
本物の動物を買うという夢しか持たない主人公は、彼らと対峙することで、本物の生き物とは何かということを自分の存在を含めて問い直さなければならなくなります。
社会に抑圧される「個人」が如何に生きるか、というテーマを持っているようです。
主人公には、めまぐるしく希望と絶望が訪れるのですが、結局最後に彼の至った境地は何だったのか、読みとれずにいます。
それをハッピーエンドととるか、バットエンドととるかは読者次第。
あなたはどう? とディックに問いかけられているようです。

難しいです。
所謂近代文学の「名作」というのには心惹かれず読み終えたことはまずないのですが(夏目の『ぼっちゃん』や『猫』ですら挫折しました!)、SFの名作だと読めてしまうのは何故でしょうか?
早川SF文庫というレーベルが、とにかく好き、ということもあるかもしれません。

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SFのこと(その2)

長いのといえば、絶対忘れちゃいけないのは、いえ、忘れることができないのが、マキャフリー小母様の
「パーンの竜騎士」
竜の背中に乗って飛んでみたい! しかも竜、火なんか噴いたら最高! と思ったことはありませんか?
このお話は、そんな夢のような星「パーン」に暮らす人々のお話です。
緑豊かな惑星パーンは、周期的に有機物を食い尽くす「糸」が宇宙から降ってくるのですが、それを地上におちる前に焼き尽くすのが「パーンの竜騎士」の仕事。ところが「糸」の来襲が一周期抜けた事から、竜と竜騎士はパーン社会の厄介者に成り下がってしまいます。もう糸降りはないとパーンの人々が安心した矢先、糸降りが始まります。極限まで減少した竜騎士達で如何にパーンを守るか?
このシリーズの第一話は、そんな話しです。
糸降りに規制された惑星パーンの暮らし、竜騎士と太守の税を巡る攻防とか、古い慣習を守る頑迷な人々の目を新しいことに向けさせる苦労とか、話しの面白さはどちらかといえば、異世界ファンタジーの領域なのですが、パーンの歴史を紐解くと、星間移民が科学の粋を極めて惑星パーンに定住し、その知識が忘れ去られた頃、パーンの地下に残された古い技術を発掘し復元して、糸降りそのものを排除しようと竜騎士達が格闘するのです。
その辺の仕掛けが例えナルくとも、SF的なのです。竜に乗るという設定の妙と、作り込まれたパーン社会、そこを舞台に活躍する魅力的な登場人物達。本を読んでいるのに、パーンの住民になったよう気になってしまうほどです。
難しい事を考えずに物語世界に遊び楽しむことができます。その時間は私にとっては何物にも代え難いものがあります。

カードの世界に触れる時、常に自分が問われる厳しさも内包しているのですが、マキャフリーの世界はこれとは正反対。気楽な読書を楽しむことができます。

ああ、長い。
でも、まだ続きます。

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SFのこと(その1)

私の読書ジャンルは大きく分けて、3つ。
少女小説系ヤングアダルト(BL含む)・SF・ファンタジー。
って思っていたけど、これ、一見異なったジャンルに見えるけど、すごく接近していて同じジャンルといってもいいかも。
っていうか、結局文庫レーベルの違い?
そう考えると、なんだかかんだで踊らされているのですね~。

SFの原点は松本零二です。
ヤマトとか999とかをアニメで見て、SFの活字を読むようになりました。そんな私のSF(はっきり書くと早川SF文庫)の原点は、エドモンド・ハミルトンの『キャプテン・フューチャー』シリーズ。これも結局はアニメがきっかけなのですが、主人公達の旅する太陽系の、ギリシャ神話的イメージを下敷きにした風俗が面白くて好きでした。今読むと、赤面してしまうような他愛ない話しなのですが、やはり原点はこれ。だからSF好きとっていも、結局のところ私の好きなSFはスペースオペラかな?
それで思い出しました。
わすれちゃいけない『スタートレック』
『スターウォーズ』よりだんぜんこちらが好きでした。
最近のは見ていないし読んでいないけど、スタートレックの二次創作をしていた人たちが、新しい『スタートレック』の書き手というのは、とても面白い世界だと思います。

光瀬龍も好きです。
『百億の昼 千億の夜』は、萩尾望都の漫画よりも先でした。(ちなみに萩尾望都はSFを漫画化する人というイメージがありました。なんて失礼な! 知らないって恐ろしい!)
短編連作の宇宙開発の年代記があります。礎になって消えていく名もない人の話です。それでも人は進化し続けていくのか、と胸があつくなります。
古本屋で見かけるたびにかって揃えているのですが、なかなか揃いません。
同じ雰囲気の短編連作が谷甲州にもあって、こちらも好き。
ブラッドベリ。これも萩尾望都がうまく漫画にしていますが、活字の持つ限定されないイメージの世界も魅力的です。これも、良さを言葉にしづらいタイプの話し。

長いものを1作上げるとしたら、カードの『エンダーのゲーム』とその続編『死者の代弁者』等。
軍人養成学校へ入学したエンダー少年は、課程で人類社会を侵略する異星人撃退を命じられる。エンダーは天才で、教授陣の持ち込む難題を負け知らずでこなしていくが、それはシュミレーションではなく実際の戦闘で、異星人を虐殺してしまう。そして、エンダーは贖罪の旅に出る。という話しです。
随分前に読んだものでうまく紹介できないのです。
私は本を読んで良く泣くのですが、あれほど涙の止まらなかった本はそうはないです。
設定はSFですが、根底には主人公が艱難辛苦を乗り越え成長していくという、『ヒカルの碁』と同じ構成を持つ物語。私は昔からこの手の物語にすこぶる弱いようです。

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